Vol.33 北口本宮冨士浅間神社と御師の町を訪ねる|人々|ライフスタイル&グルメ紹介|富士山・山中湖の別荘ならフジヤマスタイル

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Vol.33 北口本宮冨士浅間神社と御師の町を訪ねる|人々|ライフスタイル&グルメ紹介|富士山・山中湖の別荘ならフジヤマスタイル

富士山が「信仰の対象と芸術の源泉」という評価によって世界遺産登録されて今年で3年。
春まだ遠い好日、お山開きが待たれる上吉田に、富士山信仰の歴史と文化を探ってみた。

むかし「登拝」、いま「登山」。
富士山信仰文化を知るそぞろ歩き。

富士急行線の三つ峠駅を過ぎると、車内放送があり電車はゆるやかなスピードに。乗客のスウェーデン人一家や香港からの大学生から、南西に聳える富士山に感嘆の声が上がります。二つ三つ、白雲が浮かぶ青空に、純白の雪化粧をして屹立する富士は圧倒的な美しさです。この日の乗客はみなラッキー、本日は「富士山晴れ」なり。

毎年夏、約28万の人が、富士登山を楽しみにやってきます。とりわけ、富士山が世界文化遺産に登録されてからは、登山を目的にした訪日外国人も増え続けています。

幾多の噴火を繰り返してできた秀麗な富士の姿は、もともと日本人にとっては畏怖と畏敬の対象でした。遠くから拝む「遙拝」の山がやがて修験者による神に近づくための「登拝」の山となり、さらに時を経て一般の人々も登るようになります。江戸時代になると庶民の富士山信仰「富士講」が盛んになります。明治・大正以降は、誰もが登頂に挑戦できる今日の「登山」となりました。

そして今、日本固有の山岳信仰文化が世界に評価されたことを記憶にとどめておきたいものです。富士山信仰とはどんな歴史と伝統があるのか、まずは北口本宮冨士浅間神社を訪ねてみることにしました。

富士山の神を祀る神社─北口本宮冨士浅間神社

「昔の人はここから富士山を拝んでいました」と、参道入り口の一の鳥居で今日1日をガイドしてくださる勝俣一光さん。今は樹齢三百年以上とも言われる杉並木が鬱蒼としており富士山を眺望することはできません。

富士山信仰のメッカとも言える「北口本宮冨士浅間神社」には、こんな由緒があります。

――富士山は活火山、昔の人にとって、ひんぱんに起こる噴火は大きな脅威でした。最も古い記録として、天応元年(781)駿河国(静岡県)に「噴火の降灰によって木々の葉がボロボロになった」と『続日本紀』に見られます。奈良時代末期から平安期にかけて富士山の噴火活動は活発化。貞観6年(864)の大噴火の頃、人々は富士山を「浅間大神」と呼ぶようになります。やがて人々は鎮火祈願の儀式へとかり立てられ、それが噴火の山の「アサマの神」を祀る「浅間神社」となるのです。

北口本宮冨士浅間神社が現在地に建立されたのは、景行天皇40年(110)、日本武尊東征の折、当地の「大塚丘」(西側登山鳥居から南に400mほど)に立ち寄り、美しい富士を仰ぎ「この地より拝すべし」と勅した、という言い伝えによるそうです。現在の大塚丘は雑木林に囲まれてうっかりすると見落としてしまいそうですが、「日本武尊を祀る小さな祠は、パワースポットとして人気があるんですよ」と勝俣さん。

天応の噴火を機に、延暦7年(788)、甲斐国守の紀豊庭が現在地、大塚丘の北側に社殿を建立、富士山を拝み祭祀を行うために浅間大神を祀りました。時代は下り永禄4年(1561)、武田信玄が再建した社殿が「東宮本殿」で、現存する中では最も古く本殿東側にあります。現在の本殿は、元和元年(1615)鳥居土佐守成次殿の創建によるもの、拝殿奥にある壮麗な内部は残念ながら一般公開されていません。

なにやら少しずつ興味と有難味が湧いてくるような歴史です。

ところで、浅間神社の御祭神は女神、その名はなんとも愛らしい「木花開耶姫(このはなさくやひめ)」。江戸時代に作られた想像上の小さな像が「ふじさんミュージアム」に展示されています。金の冠に赤い裳をはき、ふっくらとした女神が雲に乗って富士山頂に立っています。ご利益はなんと言っても「安産と火防」。芸能、酒造、養蚕の神としてもご利益があり、何事もプラスに転じる力は江戸時代の商人に大変人気だったとか。

6月30日の前夜祭、7月1日の「お山開き」

さて、「お山開き」について権禰宜の高阪雄次さんにお話しを伺いました。

「毎年6月30日が前夜祭、7月1日が『お山開き』と決まっています。昔からこの神事を踏まえて人々は登拝ができました」と高阪さん。

前夜祭は、氏子や地域の代表者、富士講徒ら約150人が拝殿前に集まり、まず「夏越しの大祓」が行われます。人々の犯した罪や穢れを除き去るための儀式です。そして茅を束ねた直径2メートルほどの「茅の輪潜り」をして、一同は本殿西側、登山道吉田口起点の鳥居前に移動。いよいよ前夜祭のクライマックス「お道開き」の儀です。

鳥居の丸柱のほどよい位置に注連縄が下げられています。おどろおどろしいひげ面の手力雄命(たぢかろおのみこと)が威厳を持って現れ、ギャラリーが固唾を呑み、シンと静まり返った中、手力雄命が大きな木槌を一気に振り落とすと注連縄が真っ二つに断ち切られます。一瞬に終わる「お道開き」、一斉に拍手がわき起こり神事は終わります。

「お山開き」の神事は、8月26・27日に行われる「山じまい」の豪壮で迫力満点の「火祭り」(鎮火祭)に比べ、むしろ地味な儀式にすら思えます。しかし、登山の無事安全を祈願し、この儀式により、富士に登拝することが許されるという、先人の敬虔な思いが今日に脈々と伝えられているのです。

ところで、浅間神社は「富士山を祀る神社」として、全国におよそ1300社あると言われ、その代表的な社が静岡県富士宮市の「富士山本宮浅間大社」と山梨県冨士吉田市の「北口本宮冨士浅間神社」です。この二社をはじめ富士山周辺の八社が世界文化遺産に登録されていますが、とりわけ「北口本宮冨士浅間神社」は唯一富士山頂上までつながる登山道起点にある、名実共に富士山信仰文化の中心と言えます。

御師の町を歩く

信仰と深く結びついていた富士登拝、富士講が盛んになるにつれ、受け入れ施設も必要になってきました。富士登拝と密接な関係のある上吉田御師の町を勝俣さんの案内で歩いてみました。

一直線1キロ程、なだらかな上り坂の上吉田表通り(国道139号)は、富士急行線・富士山駅からすぐ。全体が銅板で覆われた大きな「金鳥居」が御師の町の起点です。

「昔から鳥居の北側は俗界、鳥居を越えると神域と言われてきました。この表通りからタツミチという奥屋敷につながる小径があるのが古くからの本御師、表通りに面しているのは後にできた町御師です」との解説。

必見の「御師 旧外川家住宅」を見学しました。現在はふじさんミュージアムの付属施設で、常駐の解説員が建物の歴史や富士山信仰についてわかりやすく説明してくれます。

御師旧外川家は通りの東側、奥行き八十間ほどの短冊形敷地に母屋と裏座敷の2棟で構成されています。屋敷内には「ヤーナ川(間の川)」と呼ばれる水路があり、小さな滝は富士講徒らが水垢離を行う禊場となっていたそうです。富士講の先達や御師、村長らだけに出入りが許された「式台玄関」、富士山神霊を祀り、祈祷などを行った「御神前」は御師住宅独特の空間です。面白いのは御師の家族が寝起きする居間も同じ屋根の下にあり、家族ぐるみで富士講徒らを「おもてなし」していた様子がうかがえます。ひじろ(火代)のある部屋には、宿泊客に賄われたお膳と食器が展示されており、旅の疲れを癒したであろう徳利とお猪口が並んでいました。

外川家主屋の建築記録「家作萬覚帳」には明和5年(1768)建造という記述があり、なんと築二五〇年、柱にも梁にも往時の人々の思いが染みついている、貴重な木造建築文化財です。

すぐそこにある世界文化遺産

世界文化遺産は、「遺跡、神社、登山道、湖沼、御師住宅、胎内樹型、自然景観」などの構成資産からなっています。しかし、富士山信仰を伝える史跡と文化財は、全国至る所に見られ、それらが構成資産として同じような価値があることは案外知られていません。東京都内には、国や都、市区町村が史跡や文化財として指定した「冨士塚」が多数残されていますし、江戸から3泊4日ほどかけて富士講徒らが歩いた「ふじ道」のあちらこちらには富士講の足跡が散見されます。中央線大月駅から富士山駅まで、富士急行線に沿って「各駅停車ふじ道遺跡巡り」もきっと興味深い旅になるかもしれません。

午後3時過ぎ、旧鎌倉街道から見る富士の西斜面は、傾きかけた陽をいっぱいに浴びてまぶしく輝いていました。刻々と表情を変える富士山が、私たちをじっと見つめているようでした。

1.金鳥居インフォメーションセンターのガイド・勝俣一光さん。2.高さ17.5mの日本最大木造鳥居、扁額に「三国第一山」とある。3.御神木・太郎杉の奥に見えるのが県指定文化財の拝殿。

1.金鳥居インフォメーションセンターのガイド・勝俣一光さん。
2.高さ17.5mの日本最大木造鳥居、扁額に「三国第一山」とある。
3.御神木・太郎杉の奥に見えるのが県指定文化財の拝殿。

4.桃山時代築造の色彩鮮やかな東宮本殿、国指定重要文化財。5.県指定天然記念物の太郎杉。西側に市指定天然記念物の夫婦桧があり、拝殿両翼に立つ巨木に圧倒される。

4.桃山時代築造の色彩鮮やかな東宮本殿、国指定重要文化財。
5.県指定天然記念物の太郎杉。西側に市指定天然記念物の夫婦桧があり、拝殿両翼に立つ巨木に圧倒される。

手力雄命の木槌一振りの一瞬。「お山開き」前夜祭の神事「お道開き」の儀。

手力雄命の木槌一振りの一瞬。「お山開き」前夜祭の神事「お道開き」の儀。

6.人気のパワースポット「大塚丘」は浅間神社の由緒を知るためにもぜひ見ておきたい。7.富士登山道吉田口、奥に祖霊社。8.権禰宜の高阪雄次さん。

6.人気のパワースポット「大塚丘」は浅間神社の由緒を知るためにもぜひ見ておきたい。
7.富士登山道吉田口、奥に祖霊社。
8.権禰宜の高阪雄次さん。

9.銅板で覆われた金鳥居を潜ると神域。金鳥居から表通り(国道139号)に面して、下宿・中宿・上宿と御師町が形成されていた。10.世界文化遺産「御師 旧外川家住宅」の中門。本御師外川家の屋敷は表通りからタツミチを入った奥にある。11.富士登拝「三十三回」「五十五回」など富士講先達の記念石碑が銘入りで残されている。

9.銅板で覆われた金鳥居を潜ると神域。金鳥居から表通り(国道139号)に面して、下宿・中宿・上宿と御師町が形成されていた。
10.世界文化遺産「御師 旧外川家住宅」の中門。本御師外川家の屋敷は表通りからタツミチを入った奥にある。
11.富士登拝「三十三回」「五十五回」など富士講先達の記念石碑が銘入りで残されている。

12.マニアに人気の富士山マンホール。

12.マニアに人気の富士山マンホール。

13.富士山の神霊を祀る御神前、御師住宅に特有の間。富士講徒らが祝詞や御神歌を唱和した最も神聖な部屋。左側に富士講開祖の一人、食行身禄の像。14.ヤーナ川(間の川)の跡、ここにも先達の石碑が。15.御師の家は表通りにほぼ直角に細長く建てられ、部屋が奥へ奥へとつながっている。

13.富士山の神霊を祀る御神前、御師住宅に特有の間。富士講徒らが祝詞や御神歌を唱和した最も神聖な部屋。左側に富士講開祖の一人、食行身禄の像。
14.ヤーナ川(間の川)の跡、ここにも先達の石碑が。
15.御師の家は表通りにほぼ直角に細長く建てられ、部屋が奥へ奥へとつながっている。

16.富士講徒らに賄われた膳、食器類は当時のもの。17.表通り半ばにある菓子処「金太郎」、歩き疲れたら甘いピンポンまんじゅうを。

16.富士講徒らに賄われた膳、食器類は当時のもの。
17.表通り半ばにある菓子処「金太郎」、歩き疲れたら甘いピンポンまんじゅうを。

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