山中湖畔別荘地の歴史
富士急と別荘地の歴史
2年前の夏、とある写真展が静かに開催された。山中湖の湖畔に広がる別荘地の開発開始から80年を迎えたことを祝うもので、企画したのは富士急行グループ。企業が手がける展覧会としてはプロモーションの色が薄かったので、ご存じない方がほとんどかも知れない。その歴史に対して純粋に敬意を表し、万感の想いを示す、ささやかながら節目に相応しいイベントとなった。
富士急山中湖畔別荘地の足跡は、大正末期にまで遡ることができる。計画がスタートしたのは、富士山麓土地株式会社(富士急行の前身)が創設された大正15年のこと。それから今日にかけて、極めてゆっくりとしたペースで開発が行われてきたのだが、今現在も同じスピードで進化を続けている。
別荘開発や建築に係る法体系が激変しても、自然公園法や山梨県恩賜県有財産管理条例を遵守することで開発計画も進捗ペースもほとんど変化がない。このような地域開発というのは珍しいのではないだろうか。
歴史の舞台となった山中湖は、湖水面積にして約6.46km2の広さを持つ、富士五湖最大の湖だ。海抜は982メートルで、日本の湖としては3番目の高所にあたるという。真夏でも平均気温が約20℃前後という冷涼な気候、そして世界に名だたる霊峰・富士の言語に絶する美観を堪能できるという好立地。それだけに、別荘地の開発以前から日本人の憧れを集めてきたが、昭和初期に本格的に着手された開発は、極めて真摯な姿勢で行われた。
重機がなく手作業の造成に頼らざるを得なかったと言う当時の状況もさることながら、昨今のエコブームを先取りする形で「自然との共生」姿勢が強く打ち出されていたのだ。樹木をできるだけ保護することはもちろん、少ない場所にはわざわざ植樹するという徹底ぶりで、開発と言うよりも別荘購入者とともにゆっくりと育ててきたというニュアンスが近いかもしれない。
伝統的に四季の移ろいとともに暮らしてきた日本。高度成長期以来、さまざまなリゾートが開発され、現在は環境保護が叫ばれる時代を迎えているが、もともと、私たちは自然とともに生きることが得意なのだ。
慌てず、急がず、森と高原の速度に合わせて。古い写真が多数展示された先の展覧会では、かつての日本人の想いだけでなく、これからの日本の進路まで視えるような感覚に包まれた。
左は昭和37年(1962)、右は平成21年(2009)に撮影された現地写真。ともに「あざみ丘1丁目」、同じ場所を写したものだ。比較してみると、半世紀近くを隔ててもほとんど変化がないどころか、むしろ森は育っているように見える。山中湖畔別荘地の開発方針を象徴する事例と言えよう。
下の4つの写真は、昭和5年から8年にかけて竣工した個人別荘。右の2点は、日本経済倶楽部のメンバーが所有していたものだ。この頃の建築中の写真も残されているが、重機がなかった時代とは言え、原野を開拓するという大プロジェクトにしては、のどかな雰囲気が面白い。
山中湖のリゾート開発は、明治40年及び43年に山梨県内で発生した水害が発端だった。被害状況をお聞きになった明治天皇が、県内産業の進展や県民生活安定のために、皇室財産であった広大な土地を県に御下賜されたのだ。
舞台が恩賜県有財産で、初期の代名詞となった「旭日丘」の命名者は文豪・徳富蘇峰。富士山と湖が織り成す環境条件が重なり、政財界の要人たちがこぞって別荘を建てたのだが、写真を見るとどれも華美とは言えない。当時の状況を考えれば、むしろ落ち着いた建物が中心と言えよう。
開発側と所有側も一体となって続けてきた、静かな開発。これこそ、山中湖畔別荘地の最大の特色かも知れない。
現在の山中湖畔別荘地は、全8エリアで約3300区画を分譲している。その広大な敷地を考えればむしろ少ない印象だが、ステイタスとしての別荘所有ではなく、自分が没頭できる時間を過ごす実用のための別荘というスタイルは今も貫かれている。
下の画像は、現在展開中の「コンセプトヴィラ」だ。誰に憚ることなく車への愛情を注げるガレージハウス、千本ものボトルにも対応する保管庫とステージ型キッチンで食とワインに没頭できるセラーハウス、ゴルファーの究極の夢を叶えるフェアウェイテラス、そして自分の庭を思う存分に堪能できるガーデニングハウス。いずれも見た目の豪奢さではなく、人生に対する希望を見いだすことができる点が特徴だ。
同別荘地のこうした姿勢は、20年後、つまり開発着手から百年を経ても変わらないと確信させるレベルのものだ。そして、この姿勢があるからこそ、山中湖のリゾートはかつての地位を今も維持している。急がば回れ……ビジネスパーソンの視点から見ても、格好の教科書のような存在と言えるだろう。
大正7年 | 富士山麓開発説明会開催 |
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大正11年 | 皇太子(昭和天皇)の富士五湖巡遊 |
大正13年 | 「岳麗開発調査委員会」発足 |
大正15年 | 「富士山麓土地株式会社」設立 |
昭和2年 | 富士山麓土地、県有地借り受け 富士山測候所開設 |
昭和3年 | 別荘地造成工事着手山中湖ホテル開業 |
昭和4年 | 山中湖畔に貸別荘竣工 |
昭和5年 | 別荘地の本格貸付・誘致開始 山中湖畔に貸別荘23棟落成 |
昭和8年 | 徳富蘇峰、「旭日丘」命名 |
昭和10年 | 富士ゴルフコース開業 |
昭和11年 | 富士箱根国立公園指定 |
昭和21年 | 連合軍、ニューグランドホテルを接収 |
昭和22年 | 連合軍、富士ゴルフコースを接収 |
昭和27年 | 旭日丘に富士スケートリンク開業 富士ゴルフコース、再建整備の上開場 |
昭和33年 | 富士マリモ、山梨県天然記念物に指定 |
昭和36年 | 富士桜ヶ丘別荘地、造成・販売開始 |
昭和37年 | 富士あざみ丘別荘地、造成・販売開始 |
昭和38年 | ホテルマウント富士開業 桜ヶ丘セントラルロッジ開業 籠坂ドライブイン開業 マウント富士スキー場開業 ハリモミ純林、国天然記念物 |
昭和39年 | 富士月見丘別荘地、造成・販売開始 あざみ丘セントラルロッジ建設 旭日丘ドライブイン開業 |
昭和40年 | 富士紅葉別荘地、造成開始 旧中野村、山中湖村に改称 |
昭和41年 | 富士紅葉別荘地、販売開始 富士見台別荘地、造成開始 |
昭和44年 | 中央道富士吉田線(河口湖IC)開通 新宿~山中湖間高速バス開通 |
昭和51年 | 山中湖畔旭日丘にバスターミナル完成 富士ゴルフコース、新クラブハウス竣工 |
昭和56年 | 山中湖ロードレース始まる |
昭和61年 | 東富士五湖道路(河口湖~山中湖)開通 |
平成元年 | 東富士五湖道路(山中湖~須走)開通 |
平成12年 | 富士急リゾートアメニティセールスオフィス建設 |
平成18年 | 旭日丘「森の駅」開業 旭日丘に「ピカ山中湖ビレッジ」開業 |
平成19年 | コンセプトヴィラ「ガレージハウス」販売開始 ガレージハウス山中湖 |
平成20年 | セラーハウス山中湖 |
平成21年 | フェアウェイテラス山中湖 |
平成22年 | ガーデニングハウス山中湖 夏季別荘地循環オーナーズバス運行開始 |
平成23年 | 「森シリーズ」販売開始 ・木漏れ日の森販売開始 ・見晴らしの森販売開始 ・やすらぎの森販売開始 ・憩いの森販売開始 ・ふれあいの森販売開始 |
平成24年 | ホンカガーデンⅡ販売開始 |
平成25年 | マウントビューヒル山中湖販売開始 |
平成28年 | 新築建売ScanD(スキャンディ)ホーム山中湖販売開始 |
令和2年 | 新築建売フェアウェイフロント山中湖販売開始 |
令和3年 | マウントビューテラス山中湖販売開始 フォレストガーデン山中湖販売開始 グランピングヴィラ山中湖販売開始 |
令和4年 | FUJIYAMA hill's販売開始 ドッグガーデン山中湖販売開始 サウナランド山中湖販売開始 |
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